それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

考えようとしてる時にはもう決断してる。

今いる学部からそのまま同じ教育学の大学院に行けば,そんなに苦労することなく院自体には上がれるんだけど,そこに行きたくない/行くべきでない理由が多いため,その選択肢は消していた。そして海外の大学院に行きたいという思いから去年の春より英語の勉強を続け,というか英語とたまの卒論研究しかしていない。

海外の院に合格できなかった場合のために日本の院も受けないといけないんだけど,そのために超えなきゃいけない壁はいくつかある。

  • 第一に,茶道の哲学について論文を書いても「えー」とか言われないこと
  • 学部とは専攻が変わるため新しい専門分野について院試で問われること
  • 日本の院だとしても交換留学とかは行くということ
  • 日本の院に受かっていても海外の院が受かればそっちに行きたいということ
  • それら全てを了承してくれる指導教官を見つけなくてはいけないこと

 

今の学部でも非常に理解のある指導教官に見てもらえていて,茶道の研究をしていきたいことも海外の院に行きたいことも全部話した上で,全てを了承してもらえてる。1年生の頃からお世話になってるので,あたしがどんな性格かも知ってる。その先生は好きなんだけど,それ以外の要因であたしは今の学部のまま院に行く気にはならない。

 

IELTSのスコアが伸びないと見切りを早めにつけて,日本の大学院探しをちゃんとしなきゃと思いながら,いや今からしても遅いよとか言われながら,受からなければ来年無職っていう背水の陣で英語だけをしてきた。もしこれから研究室訪問とかしても,初対面の人にこれだけの我が侭を聞いてもらうことは本当に難しい。うまく行ったとしても,結局来年1月の出願(海外)まで必死に英語をして,それから2月入試(日本)かなと思っていた。

 

 

同じ大学の違う学部に,茶道の先生をしてる教授がいて,もうかれこれ1年ぐらい卒論を見てもらっている。その先生はあたしが教育学の院に進むと思ってたみたいだけど,昨日進路について改めて訊かれた。上に書いたようなことを全部話したら,「うちの研究室で茶道の哲学について論文や,本を書いてほしい」「前から指導が続けたいと思っていた」と言われた。(本?)

 

あたしが挙げた問題点について,教授の解答。

  • 第一に,茶道の哲学について論文を書いても「えー」とか言われないこと
    → うちの研究科は教育学部みたいな制約はありません
  • 学部とは専攻が変わるため新しい専門分野について院試で問われること
    → 院試の問題は指導教官が作るので,茶道の哲学について答えてくれればいい
      (ま,これは簡単です,とのこと)
  • 日本の院だとしても交換留学とかは行くということ
    → 大丈夫じゃない?
  • 日本の院に受かっていても海外の院が受かればそっちに行きたいということ
    → 海外受かったらそっち行けばいいよ。引き止めないから
  • それら全てを了承してくれる指導教官を見つけなくてはいけないこと
    → 副指導教官の先生とも信頼関係があるので,僕から話します

この話を受けるための条件は,8月に入試を受けるということだけ。院試は英語とその先生が作る問題と面接。院試の勉強より英語をしていたいと思ってたけど,この院試の負荷は限りなく少ない状態のようだ。上記の条件を満たす指導教官を0から探すことにかかる負荷よりも。

かけずに済んだ,空いた時間を引き続きIELTSに回せる。

 

実のところ,その先生は哲学っぽい授業もしてるけどもともと理系の先生だしそう思っていたので,その研究室に行くという選択肢は昨日まで全く浮かんでなかった。その研究室の他の院生さんは完全に理系なのに,10数年前からここは哲学の研究室ですとか言われて,色々よく分かっていない段階で「ここに来る気がありますか」と訊かれる。確かあたしはこの段階で「はい」と言っていた。あたしがこの話に乗るか乗らないかを考えるよりも早く,逃したくない話だともう分かっていたから。

 

そしてそのまま願書もらってこいと言われ今手元にある。この強引さ加減,大学入試のときを思い出す。どちらに転んでも茶道の論文は書けるし留学はできるようで,そのための試験ももう推薦入試みたいなもので(先生の口ぶりからして,絶対受かる),こんな話が相手の方から転がってくるんだなぁとか思ってる。 

でも今回は,自分が希望した進路に自らの努力で行きたい。院試は受けるけど,なんのためにこの話を受けたのかを忘れないようにしないとな。今の大学にそのまま居続けることを望んでない自分がいるうちは,より望ましい進路を目指し続けなきゃいけない。高校や大学受験とは違って,今度は。

 

IELTSにしろ海外の院試にしろ,うまくいくかいかないかの二択なので,うまくいかなかった場合の進路,つまり半分がここで決定した。あたしの目の前で口を開けた選択肢に片足を突っ込む速さは,例のごとく秒速である。残り半分がこれから決まる。

 

出願時に提出する研究計画とかよりもまず先に,明後日のIELTS行ってきます。

 

 

人生はたいてい続くから,助かる。

自分が選んだ決断の重さなんて分からないのは,決断した時点ではまだ何の重みも持ってないからだろう。1年経ってようやく分かるようになったのは,失ってきたものの中でも一番重いものの重み。失ってきたもの全部の重みなんて感じていられなかった。一番重いものの重さも,何も感じてない顔をしていた。

 

実際には,「あたしが失ったものの中で一番重いもの」に責められたことはほんの一言も無い。むしろ「ほんとに俺のこと思って言ってるんだね」って言われて1年以上経った今でも同じこと。

 

「時間は限られていて大変だろうけど,今感じてる苦労を味わえるのはそれを体験している自分だけと思って,楽しみつつその試練乗り越えていってね」

と付け加えた彼は,1年ぶりに連絡が来たとは思えないほど何かを分かってるかのようで。今も遠くに住んでるし相手はSNSもしてないけど,5年間あたしといただけのことはある… その相手は今不幸かもしれない,というこの状況。

 

 

前置きが長い!

 

 

 

 

ごめんなさい。

あたしは今の生活がとても楽しいです。

 

 

こっちが忙しかったときに世界中のお茶クラスタから@tweetが飛んできてみんながアッサムティーの話をしだしたり,イギリスのお茶会社からなぜかサンプルを送りたいって言われたり,

Markが珍しく荒ぶってるから話を聞いてあげたら,現在感じてる不満が「there's no future for democracy」だって言われてそれは解決できんわってなったり,

毎日更新する抹茶の写真につける英文が,ちゃんと人に届いてることが実感できたりする。

そんなこんなで英語の勉強を受験勉強だと感じなくなって,日々の学習もゆるゆる楽しい。

これらの出来事を話せる相手が日本にもいて,「あたしが会いたい人」とご飯行く時間が取れるようになった今の生活。

 

その「一番重たいもの」に限らず,他の誰かといたときにはこんな生活じゃなかった。誰かといると,その人の意識低い部分が許せなくなってたけど,今あたしが注視するのは自分の意識の高さだけだから。正直独り身のときの方が友達と恋バナできてる。かたち的には独りになった今の生活の方が,ごめん楽しい。

 

なぜかといえば,失ってきた全てのものには,失うだけの理由があるからだ。一生その生活が続いてもいいと思えなかった,もっと言うと「変えなきゃいけない」理由があったから。

もちろん,ただ何かを変えただけで今の生活にたどり着けた訳じゃない。変化の前後,この数年の間に嫌な思いもした。それらに対し想い出補正をするつもりも毛頭ない。

反対に,相手を勝手に重荷に感じる必要もないのだと思った。相手は自分が不幸だとも幸せだとも告げず,あたしが負担に感じないような話し方をしてくれてる訳で。色々と大人だから。彼を幸せにする唯一の方法はあたしが離れることだったのかもしれないし,自分が不幸にしたと思うことすら思い上がりなのかもしれない。

 

 

相手はどうかは分からないけど,自分は楽しく生きられるようになった。

より楽しい生き方を見つけました。というのが今あたしに出せる答え。

 

そのための決断が正しかったかは分からない。今の時点では,失ったものの重さだけがあたしの決断を支えているような気もするけど,ネガティブな面だけでなく,楽しいからこそ今の生活に満足してるし続けていきたいと思ってる。

 

失ったものが大きかったからこそ,同じぐらい大きいものを手に入れられたのかもしれない。

本当に,ありがとうございました。あたしはこのまま進んでいきます。

 

 

 

「引き寄せ」が使えても誰も幸せにできなかった話。

不特定多数にはウケなくとも,仲良くなった人,自分が好感を持っている人には告られるというのは,とてもありがたい。そのうちの何人かとは,付き合うことになったり,一緒にいる時間が増えたりする。あたしも一定以上の好意を持っているから。

非常に単純化した意味で,これらの現象を「引き寄せ」と呼んでいる。

 

向こうが付き合いたいと言うから付き合う。願いが叶った彼らは幸せだっただろうか。いつもいつも,自分も好きで相手も好きだと言ってくれる人と一緒にいれることになるあたしは,幸せだっただろうか。

相手の幸せなんて今となっては分からないけど,自分が幸せだったかも分からなくなっている。相手に好意を持たれて仲良くなったところで,最終的に付き合うか,相手の年齢によっては結婚しないと,ゴールじゃないことが多々あった。

そうして付き合いも結婚もせずに終わった関係も同様で。彼らや自分は幸せだっただろうか。

 

少なくともあたしは幸せだったと思う恋愛が一つだけあって,去年まで5年付き合っていた割と年上の彼である。

あたしと付き合い始めた頃には相手は既に適齢期で,婚活すべき時期にお金と時間を全てあたしに費やしていた。あの年齢の人と5年付き合っておいて,結婚を相手に合わせる意志の無かったあたしは,もっと早くに別れるべきだったのかもしれない。

 

 

あれから。ある人に初めて会ったとき,話して2秒で「この人めっちゃいい人だ!」って思うことがあった。そしてその人に,2年ぶりに再会することができた。初めて会ったときも結婚してなかったけど,この前会ったときも色々と相変わらずだった。36歳(2014年当時)になったらしい。

適齢期を過ぎて結婚してない人を大きく分ければ,「別にしようとすれば結婚できるタイプ」と「独りの余生を覚悟していかなきゃいけないタイプ」に分けられると思っている。

なぜかあたしは,後者の中から原石を見つけるのがとても好きだ。

話して2秒で「原石系男子」だと思って以来,ああいう原石系こそいい人と結婚できるといいよなぁと思っていた。そして再会した。

 

 

冒頭の「引き寄せ」の話に戻ると,黙っていても寄ってくるのは「別にしようとすれば結婚できるタイプ」だ。学生とか年齢が若い人も,こちらのグループだろう。彼らはみな自信がある。

言い換えると「独りの余生を覚悟していかなきゃいけないタイプ」には,ある程度こちらが能動的に働きかけ,自信を与えてあげる必要がある。むしろ,全力で好意を示して相手に自信を与えてあげることができれば,こちらに好意を持ってくれる。

人生に能動性を求めるあたしにとって,原石系男子を追いたくなるのは仕方がないことなんじゃないか。

5年付き合ってた彼も,完全なる原石系だった。掘り当てた自分を褒めた。

 

 

そうやって追いかけた人や,なぜか寄ってきた人の両方から好意を持ってもらい,あたしはかなり自分勝手に生きてきた。

とりわけ,寄ってきた人への最後の扱いは本当に酷かった。彼らは「別にしようとすれば結婚できるタイプ」なんだからまぁいいだろう,と思っている自分がいる。

彼らは原石系というより,完成系に近いのだ。彼ら自身のスタイルを気に入る女の人と,次があるのだろう。あたしは合わなかったけど。

あたしが後で想いを巡らすのは,いつも原石系の方である。

 

 

ただし,追いかけることも自分勝手な行為/好意だな,と我に返ったのもつい先日。

5年付き合った彼と別れたときのように,今もなおあたしは進路が確定していない。全てがあたしの希望通りに運んだ場合,数年は日本にいないだろう*1

あたしは未だに,相手への責任を持ち得ないし,相も変わらず意識の逆さをこじらせて夢を追っている。失敗を繰り返してきてなお断言できるけど,最終局面ではいつも相手よりも目標の達成が大事。

 

好きになった人に好きになってもらえて,付き合う付き合わないをあたしが判断できる状況になることも多々あった。しかしそれを喜んでばかりもいられないときが,あるんじゃないか? 特に原石系に対しては。

完成系にも原石系にも,自分は幸せにしてもらってきた。にも関わらず相手を散々不幸にしてきた。そして酷いときは,あたしも不快になっている。

あたしはいったい何を「引き寄せ」たというのだろう。

 

 

36歳原石系男子との再会が嬉しかった。笑顔で話してくれれば嬉しかったし,あたしも笑顔になってた。

でも働きかけることなく,今後もう会えないであろう人に背を向けて帰ってきた。

 

「あたしはあなたまで不幸にしませんよ」と。

 

 

 

「引き寄せ」て相手も自分も不幸になるなんて,引き寄せる能力を全く有効活用できていない。

恋愛対象としての誰かではなく,目標を引き寄せられるといいな。

あたしにとって必要なのは,「大切にしたくなるような大切な何か」なのだと,今になって分かった。そしてそれは,人じゃなくてもいいのだろう。

 

 

*1:希望通りに運ばなかったので,今も結局日本にいます(2018年現在)